ヨガの基礎知識(Part3)

ヨガの意味は、神と結ぶ

ヨガの基本的な意味は、すなわち、「神(=宇宙)と結ぶ」が本来の意味であることを述べました。それが、ヨガスートラが編簿された頃(AD4頃か)には、一般的な定義として、「ヨガとは心の働きの制御(岸本英夫訳)である」となります。原語では、「YOGAS CHITTA VRITTI NIRODHAH」で、前回はこの翻訳のしかたにもニローダ(NIRODHA)を「制御(コントロール)」と訳する人もあり、また「止滅する」と訳する人もある、と述べました。従って原義に照らしても、体操の意味はありません。どんなものでも時代を経るとだんだん変化して行くものですが、原点を見つめないと、今のヨガの現象的なものを見ているだけでは、本質を取り違えてしまうのです。ヨガは「釈尊を悟りに導いたものはヨガである」と言われていることや、「シャカやジナは文献に残る歴史上最初期のヨガ行者」とされていることから、想像して欲しいのですが、体操をしてそういう境地にはなりえません。

ヨガの種類が増えて変遷してくる経過を、わかりやすく例えてみます。カメラというと今はデジタルカメラが主流なので、フイルムを使うカメラの場合は、わざわざ「フィルムカメラや銀塩カメラ」と言わねばならならなくなりました。10数年前迄は、カメラと言えばフィルムカメラしかなかったのですから、「カメラ」といえばそれがフィルムを使うカメラでした。最近になって初めてカメラを手にする若い人、なにも知らない人は、最初からデジタルカメラとフィルムカメラの2種類があるかのように思ってしまうことでしょう。それで良くわからない人は機能の分け方やメーカー別の分け方などをごちゃ混ぜにして全部同列に並べることも起こってきます。カメラを初めて買いたい人が、カメラ店に入って、デジタルカメラかフイルムカメラかニコンカメラかポラロイドカメラかどれを買いましょうか?と店員に尋ねる様なものです。ヨガも本来は「神と結ぶ」という行為(瞑想)を指したのですが、後から色々な技術や呼び方が増えて来て、混乱する様になったのです。

準備の為のことをヨガと間違う

 もう一つの誤解を招くことは、ヨガが入門から最終目的までを段階的に解説していて、しかもそれぞれの行法があるので、それらの一部を見たり体験した人が、それをヨガと思ってしまう人が結構いるということです。ヨガは八段階で説かれたり、十段階(沖正弘)だったり、六段階や四段階で説かれたりします。一般にヨガと思われているのは、最初のニ段階目や三段階目に数えられる「アサナ=坐法、体位法」と呼ばれる段階です。これはヨガの本来の行法である「冥想」の準備にあたるわけですが、とてもそれが印象的にうつるので、それがヨガと思われてしまいがちです。水泳で言えば、本質は水の中で溺れずに自由に動けること、泳げることです。しかし、人間は最初から泳げるわけではなく、多くの人は、水に入る前に準備体操したり、プールの端につかまって、足をバタバタさせる練習をしたり、顔をつけて息を吐いたり止めたりして、顔を上げて息を吸ったりする練習を行います。そして水の中で、溺れずに自由に動ける(泳げる)様になるのです。バタ足の練習や呼吸の練習を「これが水泳です」、とは言えません。水泳(泳げる為)の一部ではあります。これと同様に多くの人がヨガと思っているのは、ヨガの一部ではありますが、ヨガではないのです。

written by 龍村修