求道ヨガ

エクササイズ化するヨガ

私は今社会に普及している様々なタイプのヨガを見ています。40年近く前と、今の普及しているヨガと何が違うかというと、現代の方が実に多様化しビジネス化し、専門化していて、また肉体中心で、どんどんエクサザイズ化しているということです。本来総合的であったヨガの一部分を強調したり、細分化して行く経緯は、他の分野と同じことです。伝統的なアジアの医学は基本的に人間をホリステイック(全的=身・心・氣・霊等を一体と見る視野など)な視野で見て病気に対処していました。数十年前までの現代医学の医師も比較的全体を見ようとしていましたが、今は内科でも様々に分かれていて分野ごとに専門医がいます。ヨガも技術を中心にすると、沢山の技術がありますから、他と分ける為にその技術を特徴付けることが起こります。

インド発の米国経由のヨガ

私がヨガを始めた頃は、今で言う北インドのリシケシからでたヨガが中心でした。イギリスで医学を学んだシバナンダ師が、沢山の弟子を近代的な視野に照らしたヨガで育て、古典的なヨガを現代人の心と体と霊性の全体の健康に役立つものとして伝え、沢山の弟子を養成して世界に派遣しましたから、それが西欧世界に大きな影響を与えました。内容が総合的で精神的でしたから、様々なアサナの細かい動かし方の違いや呼吸の仕方に対して、細かいことは強調されず、霊的に人間性が高まることに力点が置かれていました。私が学んだ沖ヨガも、様々な要素が入っていますが、インドのヨガの系統としては、このリシケシや同じく近代的科学的効果を重視するロナワラのヨガ研究所の影響が見られます。これらのヨガの場合は、アサナを見てもそこに何か深い精神性の探求を感じさせられるものがあり、細かい技術はあまり重視されません。

これに対して、現代アメリカから流入してきたヨガは、多分に元はインド的ですが、米国流にアレンジされ、精神性を大幅に省いている場合が多いヨガとなっています。精神的ものをいれている、といってもそれは知識だけで多分に付け足しただけ、という感じで精神性が中心とは思えない内容です。またポーズの細かい技術、形ややり方や細かい筋肉の動きや、連続したポーズの場合はその順番まで、決められており、その形と動作を行うことをヨガにしています。システム化された内容なので、ある意味でわかりやすく、学びやすいと言えますが、精神的なヨガに触れたことのあるものから見れば、これだけをヨガと思われたら困るという内容です。

技術中心はロボットを産む

日本の場合は禅というヨガの伝統がありましたから、インド(天竺)から来たものは、精神的なものが中心である、と基本的に了解していたので、ヨガのアサナはそれ自体に精神的なものを含むものという理解があったと思います。それで、10数年前までは、ヨガは精神的なものなのだ、という社会的了解があったと思います。ところがこの技術中心のヨガは、技術中心だからどの先生から習っても大差がないし、精神的なものがほとんどなくても、やり方の技術を身につければ、それで指導員になれるのです。自分とほとんど同じ指導の仕方をする弟子の指導者を育てるヨガでは、指導者はほとんどロボットの様に同じ内容を指導します。その系統の場合、ヨガの実践で精神性と思われていることは、そのアサナを実践している時の痛みに耐えているとか、持続する肉体的な辛さに耐えている等のことなのです。ヨガは実践99%ということに間違いはありませんが、スタジオでのアサナの練習をヨガの実践としていて、それが99%というなら、これは偏っていると言わざるを得ません。総合的な実践でないと私は偏ると思っています。

求道のヨガは、学びと気づきのヨガ

 私は生徒にいつも、ヨガを学ぶ時に技術中心にするか、求道中心にするかは、最初の頃はあまり差が無くても、10年20年経つと大きな差が生まれて来ると言っています。それは自分の40年近いヨガの経験からそういえるのです。ヨガの技術を追い求めている人は、勉強していても同じ地平でより沢山の技術をもっただけで、質的な違いのある技術のレベルに達しないし、「智恵が生じる」というレベルに達せないのです。智恵が生じるとは、自然法則や生命法則、宇宙法則の智恵が次々と湧き出て来る状態のことです。釈尊の言葉とされる有名な「法句経(真理のことば=ダンマパダ)」には、次の様に書かれています。
『実に心が統一された(=yoga)ならば、豊かな智恵が生じる。心が統一されないならば、豊かな智恵がほろびる。生ずることとほろびることのこの二種の道を知って、豊かな智恵が生ずるように、自己をととのえよ。』(岩波文庫「真理のことば」282句、中村元訳より)
本当にヨガを行う(心を統一する)と「豊かな智恵が生じる」、ということはとても大切な教えで、逆の智恵が生じない道=ほろびる道とは、自然法則からずれた生き方になる、ということを教えています。

written by 龍村修