【講師コラム:坂本知忠】生命即神とは 沖道ヨガとは

生命とは生き物のなかに生起している特殊なエネルギーの流れです。そのエネルギーには情報がインプットされています。その情報を仏陀はカルマと云いました。人間には体温や脈拍、血圧を一定に保ち生体を保持する機能がそなわっています。それが生命の働きです。生命の働きは自然法則そのものでバランス維持回復の働きであり、身体内部で潜在意識的に働いています。生命の働きは常に変化、バランス、安定を繰り返しています。病が起これば生命の働きは病を治そうとして働き、痛みが起これば痛みを軽減しようとして働き、悩みが起これば悩みを解決しようとして働きます。身体の病気がなかなか治らないのは生命の働きを阻害させている原因があるからです。その原因に対して変化刺激を与えバランスさせれば生命が正常に働き病気という現象はなくなります。身体や心が病んでも生命は病むことはありません。加齢によって生命力は衰えますが、老化が病気の直接原因ではありません。精神力や高潔な人格は衰えません。

ウパニッシャドの哲学では内なる神をアートマン(真我・魂)と云い、外なる神をブラフマン(梵)と云います。梵我一如がウパニッシャドの理想です。沖先生の哲学はウパニッシャドを基としています。ウパニッシャドの意味は師匠の側に座ると云うことで、書物や文献で学ぶのではなく以心伝心で師匠から弟子へと教えを伝える密教と云う意味です。また、密教には教えに対して行動する実践するとの意味があります。沖先生は真我即神と云わず、なぜ生命即神と云ったのでしょう。ゴータマ仏陀以前の哲学は魂が輪廻転生すると考えました。仏陀は不滅の魂を否定しましたが、途切れることなく継続変化してゆく生命という特殊なものがあることを洞察していました。生命は死によっても分断されずエネルギーとして継続していくことを知っていました。生命は今、現在を起点に過去と未来に繋がっています。川の流れにも似ています。仏陀はその生命であるエネルギーの継続を輪廻転生と云いました。沖先生は仏陀の生命観からヒントを得て生命即神という言葉を生みだされたのであると思います。生命は無限継続を求めています。生命は無限拡大を求めています。生命は無限自由を求めています。なぜならそれが神である生命の性質だからです。

南伝仏教・上座部仏教は世界を苦であると見ました。又、輪廻転生を苦であると見みました。現世を否定し人格を否定して、理想状態を欲望や自我を全て吹き消して無くなったところニルバーナ(涅槃)とました。出家主義で自己救済と解脱を目的にした教えです。この考えは厭世的になる恐れがあります。

これに対して北伝仏教・大乗仏教は煩悩や欲望を否定せず、むしろそれを肯定し活用する方に目をむけたもので、自己拡大と社会救済を目的にした教えです。沖先生の哲学はこれに近いと考えます。

ジャイナ教は出家主義をとりますが全ての生き物には魂があって、魂が輪廻転生していると見ています。魂イコール生命と定義すれば、仏教とジャイナ教はまったく同じ教えです。ジャイナ教は非暴力・不殺生を教えの第一に位置付け、全ての生き物達と仲良くするという平和主義を掲げているのが魅力的な教えです。

沖先生は出家主義をとらず、我々一般社会人が実社会で現実的な生活を営んでいくなかで、どの様にしたら幸福で豊かで平和になれるかの実践哲学を編み出しました。身体の健康法だけのヨガ、自己救済だけに終わってしまうヨガをはるかに凌駕した総合的な求道ヨガを提唱したのです。これはまったく新しいヨガであり全生命救済の教えです。沖道ヨガが消極的ヨガでなく積極的ヨガだと評価される所以がそこにあります。