【講師コラム:内山英郎】健康と平和の実現

沖ヨガとの出会い

私が沖ヨガの道場に入門したのは1974年の12月でした。大病こそしませんでしたが、健康にも自信がなく、仕事にもはっきりした目標もない20代を過ごしていました。しかし、漠然としてはいましたが人生とはなにか、世界、宇宙とは、いのちとはいったいどういうことなのだろうとの疑問が常にありました。

そんな20代の後半に体調を崩し、真剣に人生を考え出したのでした。大した才能も技術もなく、長くなりそうな人生を、健康で有意義に過ごすにはどうしたらよいのかを徹底的に悩み考えました。幸か不幸か、性格が粘着質で楽天的なところがあったせいか、かすかな希望を持ち続けられたのですが、本が好きでしたので暇に任せて図書館に通い、興味のある本を中心に読みあさりました。小説は山本周五郎で、今日の日本人の情緒形成のもとになった江戸文化の一端を知りました。その他はほとんどは、自然科学、宗教・哲学関係の本でした。その折に当時の健康ブームのながれで、玄米、自然健康法的な世界を知り、結果ヨガの世界に導かれたのでした。今思えば、その時に玄米を食べて体調が大変化していなければ沖ヨガに縁できたかどうかわかりません。

玄米をいただき4日目の朝に、大量の便が出て、頭のてっぺんの栓が抜けたようになって、頭だけでなく体中がすっきりし軽くなったのです。それからです。世の中の医療常識ばかりに収まらずすべての常識を見直さねばならないと感じ、そのことの関連が自分の人生の目標になると感じたのです。

そんな体験に前後して、あるとき、三日間眠れずに徹夜して「宇宙の果てはどうなっているのか?」を考えることがありました。思考の集中力が頂点に達したのか、頭の中で「プツン」という音がして、オゾン臭を感じ、その瞬間音のした方に首を向けていました。そして、出た結論が「わからないことはわからない」で、不思議に大納得し安堵したのでした。体は皮膚に赤いブツが出てサーと消えていきました。その時にあった軽い風邪の症状も消えました。そうこうしていると急に猛烈な睡魔に襲われそのまま寝込んでしまったのですが、目が覚めたのは二日後でした。完璧な爆睡です。

後にヨガ関連の本で知ったことですが、脳で集中思考し、ボルテージが上がると、脳内でプツンと音が出て、オゾン臭が発生することがあるらしいのです。ヨガの訓練として集中思考をしたわけではなかったのです。

他にもいろいろ不思議な体験がありますが、それはともかく、真剣に生きていると確実な刺激と結果が得られるものとの直観、直感を得たのは事実です。そして、断食に興味を持ち、自分流で短期の絶食など体験した結果、さらに本格的な断食を体験したくなり、苦しくないヨガ式断食を指導していただけるという沖ヨガ道場に入門したのでした。

苦しくない断食とはなりませんでしたが、道場での10日断食で、第二の人生の入り口が見えてきたように感じました。第一の誕生は両親から肉体をさずかりました。第二の誕生はヨガで精神をいただいたように思います。ヨガでも沖ヨガです。他のヨガにもご縁がありましたが、第二の人生の誕生にはなりませんでした。沖ヨガ道場での沖導師の「ヨガとは結び、むすぶのことだ」という一言と、断食効果で、私の第二の人生が開かれたのだと思っています。

瑜伽から世我へ

沖ヨガと出会って、38年目ですが、数年前から、ヨガを世我と書き表して遊んでいます。遊びながらも、最近は真剣に「ヨガは世我」が自然であることの意を強くしてきています。

ヨガの意味は「結ぶ」でした。では、何と何をむすぶのか?あらゆるもののむすびがヨガでもあります。その究極王道は、「天地宇宙と人間」のむすび、つまり「世と我のむすび」ということになります。昔、弘法大師はヨガを中国語訳の「瑜伽」として日本に伝えました。私の知識、理解が足りないのかもしれません。瑜伽という漢字表記には「結び」の意味が感じられません。

沖導師は、ヨガの本旨を説かれています。そのことを感じている世界の有志から俗なヨガと区別するために「沖ヨガ」の標榜をすすめられ、そのようになさったと聞いています。
表記の仕方はともかくとして、ヨガの本旨が世界に正しく広まるように今後も、ヨガの活動を続けていきたいと思っています。

自分流のヨガと世界平和

遊びながら、真剣に、楽しく、「電脳から田農へ」というパラダイムシフトが、私流のヨガ活動との思いでいます。これからのヨガは、農主工従の世界を実現させるための究極の実行哲学として重大な役割を担っていると思います。皆が自己流の心身の健康法ヨガを、遊びながら、真剣に、楽しく実践することが、結果的に世界を平和な世界に作り上げていくことになると思うのです。

ヨガとは「結ぶ バランス 循環 天地人一体」という意味ととらえたら、宇宙、生命現象のすべてがヨガであると理解できます。ですから、もともとヨガにセクト、流派はありません。もっとも基本的な概念であるからこそヨガは素晴らしいのです。その普遍的なヨガの多様な応用表現を森羅万象が自由に実践しているすがたが平和そのものと思います。

過去現在未来の時間を結ぶ、天地人の空間を結ぶ。時と空を結ぶ。ヨガは「人の心の中にあって、孤独を感じた人が、宇宙母体との一体感を希求するところ」に発祥する。ヨガの歴史は6千年という常識はナンセンスということになります。ルーツもインドでもなく日本でもなく、ヨガの発祥は時空の制約なく「ヨガの本旨を自覚した人」と定義して終わります。