【講師コラム:山田晃】頬被りのおじさんとの出会い

私が沖先生に出会ったのは1976年(昭和51年)8月。今から36年前である。

「腰の具合が悪い。ヨガで治したい」という妹の願いから、旅路の(用心棒?)として同行したのがきっかけでした。何しろ当時は上越新幹線もない時代。新潟の田舎から特急列車と東海道線の急行を乗り継ぎ三島市へ。一日何便もないバスで三島市郊外の沢地へ向かいました。
「宗教法人密教ヨガ修道場」と書かれた建物の玄関は(昔の体育会系の合宿所みたい…)運動靴が散乱しその入口の扉には「脚下照顧」の大きな文字。ミスマッチも甚だしい!
板敷の廊下には人が横たわって(休んで)おり、「ご免下さい」「お願いします」と言っても返事もない。トイレも汚れ、スリッパもグチャグチャ。一体どうなっているの?といった感じの第一印象でした。妹はとにかく「ここで治るなら有り難い」の思いでいたらしく、あまり気にならない様子。

その夜 一階の大広間で「本日入所(入門)した人は、来た目的と感想など自己紹介をお願いします」という。全体で150~160人位はいたでしょう。当日の入所者は10名位だったと思う。どのような人がいるのか全く知らない私は「脚下照顧と張り紙がされているが玄関入り口には靴が散乱しており、だらしがない。所持金も全額会計で預かるというし、対応も悪く、とんでもない所へ来た感じだ。」と言い終わるか終わらないかの処へ「演説はその位にして止めて下さい」と年配の人がいう。「来所した方に自己紹介して下さい。と依頼しておきながらその辺で止めろとは失礼ではないか」と応酬したがもう話す気もなく進行担当の(龍村研修生:当時)も困ってしまい大きい声で「はい!次!」。
とにかく翌朝帰ることを妹に打診。その夜は適当に過ごしました。

翌朝、早く帰ろうと会計窓口へ、すると「沖先生がお呼びです」と会計の女性がいう。
「昨日のあの男だな。まだ何か文句があるのか。」と気合をいれた私は狭い階段を上がり、二階へ案内される。
果たして、昨日の例の男はいない。そこにはタオルを頭に頬被りし、ほうきを持って床を履いているおじさんが一人いるだけ。「人を呼びつけておいてとんでもない男だ」と何気なくそのおじさんへ愚痴る。するとタオルを取りながら「私が沖です。ここにはまともな人はいません。まともな人はあなたと私の二人くらいです。許してやって下さい」という。いやはや、もうビックリ!
この一言で私の激情ボルテージは一気にダウン。私はすっかり沖正弘の虜になりました。

当時、私は民間企業で社員教育を担当しており、禅寺での体験修行、洋上でのクルーズ研修、軍隊調の規律訓練、幹部の徹底行動訓練などかなり厳しい研修を体験しており、特に戦争体験者による「一瞬一瞬、生命をかけた行動」「生命とは・人間として生きる喜びとは」など紙一重への生死をわける部下を預かる上官の責任(経営幹部の心得)など学んでいる時期でしたので、全人格を向上させる自己啓発(人間性の開発)の原点、ヨガを実践修行されている沖正弘先生に今までにない、この人をおいて我が師匠はなし、という強い出会いを感じました。(この時点ではヨガの事は全く無知でした)

急になぜか楽になった私は辺りがようやく見えてきたのをおぼえています。
「日本文化を学びに来た外国人、ダウン症の子供、不登校児、不眠症で困っている人、リハビリ訓練の為遠くから来ている人、精神鍛錬、断食の人」等々です。又職業もいろいろでした。入門者は男性9割、女性1割程度でした。
その後どのようにして今日まで来たのか、次号に譲ります。

次号 
自ら道場体験した社長も感銘・・・・「幹部50名をヨガ道場へ派遣研修」
写真は昭和53年5月29日に新潟空港にて、沖先生と私です。

画像の説明