沖ヨガ指導者への道、10の原則

沖ヨガ指導者への道、10の原則

《昭和51年、沖正弘先生口述》
現在ヨガを学び研究する者が、体得したことの中でほかの人々にも差し上げて良いと思われることを、人間同志皆兄弟であり仲間であり、共に幸福になり健康になり、生きる喜びを分かち合いたいという願いから、ヨガの普及を志そうとする時、その資格者としての認定には、いくつかの道がある。しかしそれぞれ聖的、俗的等など立場は違っても、いづれの場合においてもヨガが単なる技術ではなく人間生活全体にかかわるものである以上、次の原則は共通している。


①自分が学び研究し体得したこと以外に他に差し上げることはできない、という原則。


②いかなる場合でも「教える」「指導する」のではなく、「教えさせていただく」「指導させていただく」という下座・感謝の心で行うという原則。


③他よりも自分が積み重ねによって上手であり深く物事を知っているからには、他に対する愛の実行とご恩返しの奉仕行の立場から、自分の知っていること、学んだことを指しあげさせて頂くのであるという原則。


④悟ること、救われることがヨガの根本原則であり、学ぶことにおいて心を中心とするものであるから、その意味で恩を忘れたり、思いやりのない人間、また積極的に奉仕しようとしない利己主義の人間は、ヨガを学んだと言えないし、ヨガの仲間として認めることもできないという原則。


⑤ヨガを学びあうための会は、金銭の世界、物質の世界、利害損得の世界を求めるための会ではなく、心の世界を求める為の集まりであり、互いに教えあい学びあうことを通して人間的に高まることが目的であるべきものであるという原則。


⑥ほんとうのヨガの学びあい方は、一人一人が深く学んで悟りを拓くだけでなく、学んだことを社会にお返しするという悟りと奉仕を同時に行うことであり、その意味で人間的に高まるためのグループとは、その中で子供の教育、人間関係の悩み、家庭や仕事などの様々な問題を持ち寄って、話し合い、教えあい、学びあうためのもので、それがヨガなのであるという原則。


⑦呼吸法や体操法や食事法等などだけを勉強してもヨガとはならない。あらゆる人、あらゆるものから学び取るという姿勢がヨガの原則であるということ。


⑧人生も生活も総合されたものであるから、生きていくうえで関係のあるものは全て必要であり、できるだけ多く知った方が悟りへの道は近い。ヨガ教場を開いたり、ヨガを伝えようとする人は、良いと言われていることをできるだけ学ぶためのお世話をさせて頂く役割を果たすことが必要であるという原則。


⑨教えさせて頂く立場になる為に心がけるべきことは、部分的なことでも良いから、これだけは誰にもひけをとらないというもの、一番得手なものを何か一つ持つという原則。


⑩自分が間違った方向へ行っていないかどうかを絶えず自己反省するために、自分を離れて第三者の目で自分を見る練習である冥想行法を徹底して行うという原則。


(整理文責 龍村修)